パラレルワールド

お題「不思議な話」

 

私ももういい年なので、ふとした瞬間に「あの時別の道を選んでいたら」と人生を振り返ることがあります。

 

その中でも特に考えるのが就職ですが、私が学生のころは売り手市場でよほどの大企業でなければ希望する会社に入ることが出来ました。

 

そこで悩んだ末に私が選んだ会社はバブル経済の崩壊で倒産してしまいましたが、その時選ばなかった会社に入った同級生のその後を考えると「もし、そちらの会社を選んでいたら」と思ってしまいます。

 

また、この就職については少し事情があるので余計に気になります。

事情というのは、同級生も私も企業から内々定をもらっていたのですが、就職担当の教授から「同じクラスの人間が同じ会社に就職するのはあまりよくないので、どちらかは考え直した方がいい」と言われました。

 

企業側に確認したら全然大丈夫だったのですが、同級生と話し合って結局私が別の会社を選ぶことにしました。

 

今から思えば、なぜ教授はあんなことを言ったのか、なぜ自分が辞退したのか、なぜ倒産する会社を選んだのかという疑問がいまだに未解決のまま残っています。

 

しかし、教授の意見はあくまでも一般論で別に間違ったことは言っていないと思うので、教授の意見に左右されてというよりは自分の考えで選んだ結果なのでしょう。

 

私は現実主義者なので「良かれと思って選んだ選択肢があまりよくなかっただけ」だと思っているのですが、心が疲れているときは「運命論」が頭をよぎります。

 

もし、私が倒産する会社を選ぶ運命だったとしたら、私の人生にはその選択が必要だったわけで、その後に選んだ仕事もすべて最初から決まっているとしたら、私はどこに向かっているのでしょうか。

 

大学の同級生の大半はそれなりの企業に就職してそれなりに出世しているのに、私に課せられて運命にはいったい何の目的があるのかわかりません。

 

こんなことを考えていると余計に疲れてくるので、最終的には「運命は変えられる」と自分自身に言い聞かせるのですが、変えたと思っても結局それが運命かもしれないというわだかまりは死ぬまで消えないのでしょうね。

 

おかしな性格

お題「人といるのが好き?1人が好き?」

 

私は自分のことを「気が弱い」人間だと思っています。

ここでいう「気」とは一般的には「自分の気持ちや意思」のことらしいのですが、

私は「意思が強い」と思っているので世間の常識とは矛盾しています。

 

自分に自信が持てず、思い通りに行動が出来ないという点では間違いなく「気が弱い」のですが、自分の信念を曲げることはあまりないので「意思が強い」と勝手に思い込んでいます。

 

この性格は、集団生活ではいろいろと問題があります。

例えば、自分の意見が正しいと思っていても、その場の空気を読んで相手の意見を尊重しますが、心の中では認めていません。

 

その為、本音を言えば集団生活が苦手です。

 

しかし、子供のころから周りの空気を読んできたので、うわべ上の人当たりはよく私のことを「いい人」だと勘違いして仲良くしてくださる人も多いです。

 

その中には私と違って本当に「いい人」がいるので、その人たちとならいっしょにいても楽しいです。

 

ただ、その人たちの前でも本当に自分をさらけ出すことはなく、うわべだけの「いい人」を演じ続けているので、もはや「一人が好き」というよりは本来の自分でいられるのが一人のときだけのような気がします。

常識・非常識

この間知り合いから非常識な部下の対応について相談されました。

 

その彼とは私も面識があり、以前からあまり世の中のことをわかっていない子であることは知っていましたが、知り合いの話を聞いたらかなり非常識だったので驚きました。

最近は周りにも迷惑をかけているのでどうしたらいいかという相談でしたが、下手に注意をすると逆効果かかもしれないので、あまり適切なアドバイスはできませんでした。

 

そのあと一人で対策をいろいろと考えたのですが、私もいい年なのでついつい「最近の若い者は」と独り言を言っていました。

この言葉は何時の時代も繰り返し使われることで有名ですし、私が若いころは年配の上司が私たちに対して言っていた記憶があります。

 

この言葉がいまだに使われる理由の一つは世代間による価値観の違いだそうで、おおざっぱに言うと年配の人達は新しい文化や流行を取り入れづらく、自分たちが若かったころの価値観を持ち続けているが、若者は新しいことに敏感で柔軟に取り入れられることが要因だそうです。

 

価値観が変わってしまうということは、それに伴って常識も変わってしまうということです。

常識と非常識については世代ごとでコロコロ変わってしまうと、いろいろなところで整合性が取れなくなってしまうので困りますが、日常の身近な言い伝えから大企業の仕事の仕方まで、今までの常識を打ち破る新しい手法がドンドン導入されて上手くいっているのも事実です。

 

いくら新しいことを導入するとはいっても、近年問題になっている一部のユーチューバーによる迷惑行動等は明らかに非常識であり、このようなことが10年後、20年後に常識になっているとは思えませんが、自分の常識が今の社会や未来の社会の常識と一致しいるのかについては正直言って自信がありません。

 

今も今後も自分の常識が正しいことを願いますがすでに私もいい年なので、もし自分の常識が間違っていたとしても、修正することは出来ないような気がします。

それでも出来る限り周りには迷惑をかけないようにして「非常識はおじいさん」ではなく「少し変わったおじいさん」として老後を過ごしたいですね。

 

 

 

 

 

昼寝

お題「人生で一番古い記憶」

 

このお題が面白かったので可能な限り思い出してみましたが、どの記憶が一番古いのかは怪しいです。

幼稚園でやった工作やお遊戯はおぼろげながら思い出せるのですが、その前の記憶が定かではありません。

 

私が子供のころは幼稚園に入るのは小学校入学の一年前だけなので、もちろん幼稚園に入る前の記憶もあるのですが、どの記憶の方が古いのかは今となっては判断がつかないです。

 

おそらく3歳ぐらいのときに夏に昼寝をさせられてたのですが、とてもの寝苦しかったという記憶が一番古いのではないかと思います。

なぜそんなことを覚えているのかは自分でも不思議です。

その夏がよほ暑かったのかもしれませんし、その昼寝の前後に記憶に残る何か別の事があったのかもしれませんが、今となっては思い出すことが出来ません。

 

また、人の記憶はいい加減なもので、幼稚園に入る前に肩を脱臼していたり、そこそこの火傷をしたりしているのですが記憶は全くありません。

この話は小学生の時に祖母に言われて、母親に確認したら両方とも事実だったのですが、私の憶えていませんでした。

 

脱臼や火傷は痛みを伴うかなり刺激的な出来事なので記憶に残りそうなのですが、心理学的には嫌な思い出は忘れやすいそうです。

逆に言えば、寝苦しかったとはいえ夏の昼寝がとても気持ちがよかったのかもしれませんね。

 

物の値段

野菜炒めを作ろうと思い近くのスーパーに買い物に出かけました。

私は田舎に住んでおりスーパーでは地元の野菜も販売しているので、テレビで報道されているほどの高値ではありませんでしたがそこそこ高かったです。

 

しかし、食用油の値段には正直言って驚きました。

流石に油は地元産ではなく大手企業の商品なので、テレビで報道されているぐらいの値段だと思うのですが、久しぶりに購入した私には以前の倍近い値段に思えました。

日々の買い物でいろいろな物の値段が上がっているのは分かっていましたが、食用油のような生活に必要な物の値上がりは一般家庭には厳しいと思います。

 

そんな中でさらに驚いたのがもやしの値段です。

私が買い物をしたスーパーでは一袋29円だったのですが、私の感覚では以前より安くなっているような気がしました。

何でもかんでも値上がりしているのに、もやしは何故値上がりしないのか不思議だったので少し調べたのですが「物価の優等生」という称号がそうさせているようです。

 

「物価の優等生」といえば卵が有名ですが、最近の卵は全く優等生ではありません。

ただ、卵の値上がりには一応正当な理由があるのである意味仕方がありませんが、一度値上がりしたものは二度と元には戻らないようです。

実はもやしを安価で提供するのもほぼ限界に近いところまで来ているらしいので、いつ値上がりしてもおかしくない状況なのですが、何とかもう少し頑張ってほしいです。

 

日本の企業の中には安易に便乗値上げをするようなところはないと思いますが、さすがに物価上昇が一般家庭の生活に及ぼす影響がかなり大きくなっているので、これ以上の値上げはやめてほしいですね。

 

イナゴとカエルとカナヘビと

夏の間は熱中症のことも考えて、庭の芝生をあまり刈らなかったで雑草も含めてかなり伸びてしまいました。

流石にあまりにも見ばえが悪いので刈ろうと思ったのですが、芝刈り機では伸びすぎた雑草や芝は刈れないのでまずは長い草を手で刈ることにしました。

 

刈り始めて気が付いたのですが、芝生の中にイナゴ、カエル、カナヘビ、その他名前のわからない昆虫が大量に住んで居ました。

私は昆虫、両生類、爬虫類等が苦手ではないので作業に支障はなかったのですが、問題は芝刈り機です。

長い草を手で刈った後に芝刈り機で全体を綺麗に刈り揃える予定だったのですが、芝刈り機は昆虫、両生類、爬虫類もまとめて刈ってしまいます。

 

気温も下がってくるこの時期は昆虫、両生類、爬虫類の動きが鈍くなるみたいで、身の危険を感じて慌てて逃げてはいるのですが、逃げ遅れる個体が少なからずいます。

我が家の庭には毎朝いろいろな種類の鳥が来て食事をしているので、明日の鳥の食事だと割り切れればいいのですが、芝刈り機に轢かれた彼らの見た目はかなり衝撃的なので芝刈りに対するモチベーションが一気に下がってしまいます。

 

結局、気持ちで負けてしまい今回は芝刈り機を使わなかったので、きれいに刈り揃えられていないのですが、多少は見栄えが良くなったのでよしとしました。

しかし、よく考えたらイナゴたちを理由にして、めんどくさい芝刈りの作業を都合よく先送りしただけなのかもしれませんね。

 

主観と客観

お題「人生の最盛期」

 

今までの人生を振り返ってみて、最盛期と思えるような時期は特段なかったように思います。

 

心当たりがあるとすればバブル経済のころが何かと楽しかったのは事実ですが、私自身はあまりお金がなかったので流行には乗り遅れていて感じです。ただ、バブルがはじけた後に私が勤めていた会社も倒産して大変な思いをしたので、客観的に見たらあの頃が人生の最盛期だったのかもしれません。

 

しかし、主観的に見ればあの頃の仕事はあまり充実していませんでしたし、転職して全く違う仕事に就いたので、経験値としてもさほど役には立っていません。

また、転職した時はまだ若かったので、自分に「俺は大器晩成型だ」と言い聞かせてそれなりに頑張っては来ましたが、いまだに大成はしていません。

 

そう考えるとやはり自信をもって「人生の最盛期」といえるような時期を過ごしたことが無いように思うのですが、逆に考えたらこれから人生の最盛期を迎えるのかもしれません。もしそうなら超晩成型になるのですが、そう思いながら余生を過ごしたら大成するまで死ねないので長生きするかもしれませんね。