健康

今週のお題「納豆」

 

子供のころ我が家の朝食がまだご飯だっと頃はよく食べましたが、朝食がパンに変わってからはあまり食べなくなりました。ちなみにその頃の食べ方は納豆に生卵と醤油を足してよく混ぜた後にご飯にかけて食べていました。

 

その後は旅行先の朝食で食べるぐらいでしたが、数年前から納豆菌が体にいいというテレビの情報に踊らされて頻繁に食べるようになりました。

 

テレビやネットの情報を参考にして、豆腐と一緒に食べたり、キムチ納豆にしたり、香りづけにごま油を足したりしましたが、どれもしっくりこなかったので結局生卵と混ぜて食べています。

 

ただ、最近は炭水化物を減らすためにご飯を食べなくなったので、オートミールに納豆をかけて食べているのですが、これもテレビやネットでオートミールが健康にいいと情報を信じてのことです。

 

実際にどれほど効果があるのかはわかりませんが、食事としてのオートミール+納豆+生卵+たれ+からしは大変美味しいのでほぼ毎日食べても飽きませんね。

今から思えば

お題「高校生に戻ったらしたいこと」

 

私は体格がよかったので中学校3年生の時に、進学予定の高校に行っている先輩からアメリカンフットボール部入らないかとお誘いがありました。その時は面白そうだったので「はい、入ります」快諾をしました。

 

しかし、いざ高校に入学すると中学時代にバスケットボールをやっていた関係で、バケットボール部に入部することになってしまいました。それも私の意志には関係なくバスケットボール部アメリカンフットボール部の先輩同士の話し合いで決まってしまいました。

 

バスケットボール自体は嫌いではなかったので、それなりに一生懸命やっていたのですが、技術的の伸び悩んだこともあり1年の夏でやめてしまいました。

 

私の高校は1年生のうちは何かの部活をやらなければいけないので、バスケットをやめた後にアメリカンフットボール部に入部しようかなとも思ったのですが、いまさら入れてくれとも言えなくて入部はしませんでした。結局、廃部の危機にあるからと友達に頼まれて茶道部の幽霊部員になりました。

 

今から思えば、茶道部も幽霊部員ではなく正式に活動しておけばよかったのにと後悔しています。高校の部活動ではそれほど本格的には茶道を学べないかもしれません、おそらく精神的にはいい影響があったと思います。

 

自分で言うのもなんですが、私の高校時代は精神的にはまだ子供で、いろいろなことについても判断がかなりあまかったと思います。バスケットボール部をやめたのも一時的な感情を優先してやめたような気がしますし、大学もかなり安易な理由で選んだような気がします。

 

もし、茶道を通して精神的に成長が出来ていれば、その後に人生にいい影響を与えてくれたかもしれないので、高校生に戻れたら茶道部の活動を真面目にしたいですね。

 

 

記憶は美化される

今週のお題「急に寒いやん」

 

流石にこれだけ急な気温の変化には体がついていかないので体調管理に苦労します。

また、こうした話題になると「異常気象」という言葉が頭をよぎるのですが、今回も地球温暖化が影響しているのでしょうか。

 

私は、最近の地球温暖化や異常気象という話を聞くと「子供のころはこんなに暑くなかったな」とか「もっと四季がはっきりしていたな」とか言って昔を懐かしみ、決まって昔はよかったなと思います。

 

しかし、よく考えたら私の子供のころの防寒具や暖房器具は今に比べると性能がかなり低かったので寒さに対しては根性で耐えていたような気がします。

 

あの頃に比べると、最近の衣類は薄くても暖かいですから今回のように急に寒くなっても慌てることなく対処できました。

これは私がだらしないので春に衣替えをしなかったために、冬服がそのままクローゼットに吊るしてあったおかげなのであまり自慢は出来ません。

 

それでもあえて言えば、衣替えをしなくても薄くて暖かい防寒具のおかげで、夏服と冬服を同時にクローゼットに吊るして置けるほど便利な世の中になったのだと思います。

 

暖房器具も同じで、エアコンがあれば扇風機をしまって代わりにストーブを出すといった手間をかける必要がないのでとても便利です。

 

こういった便利さを考えたら子供のころより今の方がとても住みやすいはずなのですが「昔はよかった」と思ってしまうのは、心のどこかで過去を美化しているのかもしれませんね。

夢と現実

今週のお題「夢」

 

私は子供のころのに実現できない事へのあこがれを夢として語っていました。

ちなみに子供のころの夢は宇宙飛行士になることでしたが、その頃はまだ日本人が宇宙飛行士になる道がなくほぼ実現不可能な夢でした。

 

その後、学生時代に読んだ本に「夢は見るのではなく叶えるもの」と書かれていたのでその頃から実現可能なことを夢として語るようになりました。

 

しかし、社会人になるころに自分の夢を客観的に見たら、それは夢ではなくただの目標でした。言葉を変えればいつの間にか夢を諦めた大人になっていました。

 

そんな日々の中で、私が子供のころには考えられなかった世界で活躍する日本人が出てくるたびに「もし自分も夢を諦めていなかったら宇宙飛行士になれたのだろうか?」と考えることが事が増えてきました。

 

ただ、社会人になってから身に付いてしまった現実主義がすぐにその考えを否定してしまいます。例えば大谷選手の活躍を見ても「彼には才能があったから成功したが、自分が大リーガーを目指したとしても不可能だった。」とすぐに結論を出してしまいます。

 

そんな私でも子供のころの夢をかなえた人達を見ると軽く嫉妬してしまいますが、まだ嫉妬心があるということは夢を諦めない気持ちが少しは残っているのかもしれないので、実現できそうにもない夢をもう一度見てみたいですね。